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大阪高等裁判所 昭和31年(ネ)692号 判決 1958年5月30日

控訴人 被告 日本生命保険相互会社 代表者取締役 弘世現

訴訟代理人 三宅一夫 外二名

被控訴人 原告 岩田多可 外四名

訴訟代理人 佐藤武夫

主文

原判決を次のとおり変更する。

控訴人は、被控訴人岩田多可に対し一九五、八〇〇円、被控訴人岩田宗次郎に対し四五四、二七五円、被控訴人岩田淳三郎、同寺田多恵、同久保登貴に対しそれぞれ二四、四七五円と、それぞれ右金額に対する昭和二七年七月一〇日から支払すみまで年五分の割合による金額を支払え。

被控訴人等のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は、第一、二審を通じ、その二分の一を控訴人、六〇分の八を被控訴人岩田多可、六〇分の一九を被控訴人岩田宗次郎、六〇分の一ずつを被控訴人岩田淳三郎、同寺田多恵、同久保登貴の負担とする。

この判決は、被控訴人等勝訴部分に限り、被控訴人岩田多可が六五、〇〇〇円、被控訴人岩田宗次郎が一五〇、〇〇〇円、被控訴人岩田淳三郎、同寺田多恵、同久保登貴がそれぞれ八、〇〇〇円の担保を供するときは仮に執行することができる。

事実

控訴人は、「原判決を取り消す。被控訴人等の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人等の負担とする。」との判決を求め、被控訴人は「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。

当事者双方の主張は、

被控訴人の方で、

一、(一)第一保険契約(保険金額二、五〇〇、〇〇〇円二口)については、昭和二六年三月三一日半年払の第一回保険料一〇三、〇〇〇円を支払つてあつたが、同年七月二日日紡株四、六〇〇株を四年半分の保険料として交付するとともに、さきの保険料一〇三、〇〇〇円と合して改めて第一回保険料五年分として受領されたものであつて、このことは甲第二号証及び第八号証によつて明らかである。

(二)第二保険契約(保険金額一、二五〇、〇〇〇円)について、日紡株三、七〇〇株の交付せられたのは昭和二六年六月二八日であるが、その交付のみでは不充分であつたから、同月三〇日(帝国精機株二、八〇〇株の交付とともに、右保険契約の第一回保険料五年分の払込に充当することとなり、重富は甲第三号証の一、二の計算書、甲第九号証の仮領収証を作成し、宗次郎に交付したものであつて、右領収書には第一回保険料、昭和二六年六月三〇日から五年分の記載があるが、帝国精機株を第一回保険料、日紡株を第二回以後の保険料にあてる旨の記載は存しない。

(三)第三保険契約(保険金額四、〇〇〇、〇〇〇円)について、日紡株三、〇〇〇株、トヨタ自動車株九〇〇株、汽車製造株一、〇〇〇株、大津ゴム株一、〇〇〇株は昭和二六年八月五日まとめて同時に交付され、重富は即時甲第四号証の計算書、甲第一〇号証の仮領収証を作成したものであつて、右領収証には第一回保険料、昭和二六年八月五日から五年分の記載があるが、日紡新株を除く他の株式を第一回保険料、日紡新株を第二回以後の保険料にあてる旨の記載は存しない。

二、被控訴人主張の損害は、募集につき加えられた損害である。

前示のとおり日紡株四、六〇〇株、日紡株三、七〇〇株、日紡新株三、〇〇〇株は第一回保険料五年分の払込にあてられたもので、第二回以後の保険料に充当せられたものでないが、仮に第二回以後の保険料にあてられたものであるとしても、第二回以後の保険料の受領も保険募集の取締に関する法律一一条に定められた募集につきなした行為にあたるものである。同条において「募集につき」というのは、「募集により」というのより範囲が広く、募集に関連して募集人のなした一切の行為を含むものと解すべきである。保険の募集が成立し、次いて必然的に保険料の払込が続くもので、その払込は第一回の分であると第二回以後の分であるとにかかわらず、募集に関連している。生命保険会社は保険募集のため各種の商策を用い、募集人は保険について無知な大衆に対し甘言を用い、目的のためには手段を選ばない術策を用い、その間不測の損害を与えることが多いので、保険契約者の利益を保護し、他面保険事業の健全な発達に資する目的で同法が制定されたのである。同法一六条は保険募集人が保険契約者又は被保険者に対し不実のことを告げ、又は保検契約の契約条項のうち重要な事項を告げない行為を禁止し、同法二二条は一六条の規定に違反する行為を処罰することを規定している。これは保険募集人が募集に関してこのような行為をすることが多いからであつて、このような禁止された行為も募集についてなされた行為に含まれるものと解しなければならない。

三、宗次郎に重過失も軽過失もない。

宗次郎が重富から保険の勧誘を受けた当時の事情は、原判決事実記載(原告主張一、と二との最初の部分)のとおりである。保険募集の取締に関する法律一六条において募集人が保険契約者又は被保険者に対し保険契約の契約条項のうち重要な事項を告げなければならない旨を規定しているのは、大衆が保険契約について無知なのが普通であるという状態を前提としているのである。第一回保険料と第二回以後の保険料との区別、第二回以後の保険料を本店又は指定場所に払い込まなければならないこと、保険会社に直轄部長や融資部があるかどうかという内部の職制を知らないこと、払込は株券ですることができるかどうかについては、すべて保険契約者が当然知つてなければならない事項でもなければ、これを調査しなければならない事項でもない。このような重要な事項は、募集人に告知すべき責任があるのである。本件募集人重富は風采堂々、言辞老巧であつて、そのいうとおり社長に直属する直轄部長の風格があり、宗次郎がそのいうところに何等疑を持たなかつたのは当然である。ところが重富は詐欺その他の前科二犯があるばかりでなく、上告中の刑事事件があつたのにかかわらず、同人は保険募集につき手腕があつたので、控訴人は募集の成績を挙げるため契約者の被害の恐れを感知しながら重富に募集を継続させたものであるから、控訴人は重富の行為について賠償責任を負担しなければならない。

四、保険募集の取締に関する法律は一一条四項において民法七二四条の損害賠償請求権の消滅時効の規定を準用することを規定しておるのに、右法律は民法七二二条の過失相殺の規定を準用していないから、右法律一一条に定める保険会社の賠償責任について過失相殺をすることはできない。

と述べ、

控訴人の方で、

一、被控訴人主張の損害は、控訴人の生命保険募集人重富が募集に際し加えたものであつたとしても、保険募集の取締に関する法律一一条にいわゆる募集につき加えた損害ではない。

(一)昭和二六年三月三一日締結せられた保険金二、五〇〇、〇〇〇円二口の保険契約は同日成立し、毎半年払の第一回保険料は同日支払われている。従つて保険の募集は同日をもつて終了し、その後募集はあるはずがない。ところが被控訴人は、同年七月二日に至つて右契約の四年半分の保険料として重富に日紡株四、六〇〇株を交付したというのであるから、募集を終つた三カ月後のことであつて、後に締結せられた保険契約募集の際になされたものであつたとしても、昭和二六年三月三一日成立した保険契約募集につき加えられたものではない。

この点に関し、被控訴人は、甲第八号証の仮領収証を引用して、第一回の保険料の支払と次の四年半分の保険料の前納としての日紡株四、六〇〇株の交付とは時を異にしているが、この両度の保険料を合体して改めて第一回保険料五年分として受領されたものであり、第二回以後の保険料として受領されたものでないと主張するけれども、甲第八号証の仮領収証によつて、既に有効になされた第一回保険料支払の性質やその受領の時期を変更することができるものでなく、最初になされた契約が取り消され、あらたに別個の契約が成立したことが確認されない限り、被控訴人の右主張は根拠がない。

甲第八号証の仮領収証には欄外に赤字で「◎領収証は御申込契約一件ごとに一枚発行いたします。◎この領収証は第二回目以後の保険料領収には使用いたしません。」と注意が明記してあり、裏面には大きな字で「御注意」として「(2) この仮領収証は、御申込契約一件ごとに一枚発行いたします。(3) 次に該当する仮領収証は無効であります。第二回以後の保険料領収に使用したもの」と明記してある。ところが甲第八号証の仮領収証は二口の契約につき一枚しか発行されておらず、第二回目以後の保険料領収に使用され、注意書に二重に違反し無効であるばかりでなく、申込人欄は謙次郎のみの記載があつて宗次郎、多可の記載なく保険金額も五、〇〇〇、〇〇〇円一口のみの記載があつて、二、五〇〇、〇〇〇円二口の記載がない。

(二)(1)昭和二六年七月五日締結せられた保険金額一、二五〇、〇〇〇円の保険契約について、毎年払の第一回保険料は、同年六月一五日頃重富に交付された帝国精機株二、八〇〇株で払込がなされたもので、同月二八日重富に交付された日紡株三、七〇〇株は次の四年分の第二回以後の保険料の払込にあてられたものである。日紡株三、七〇〇株と帝国精機株二、八〇〇株とを合して右契約の第一回保険料五年分の払込がなされたものではない。日紡株三、七〇〇株が第二回から第五回まで四年分の保険料として交付されたものであることは、次の事実から明白である。すなわち、甲第三号証の一の計算書には「日紡3.700株 株価150円×3.700 = 555.000円 預保険料173.875円×4回分 = 695.500円  695.500円-139.100円(4回×5分)利息引 = 556.400円 」と記載されている。これは重富が第二回以降四年分の保険料が五五六、四〇〇円であることを計算したもので、中間利息を控除していることからみても第一回保険料を含んでいないことを示している。そしてこれは甲第七号証の重富の名刺裏面の預書「五五六、四〇〇円 右払込として日紡株式三、七〇〇株御預り致します。」の記載金額とも一致する。次に、日紡株三、七〇〇株の受領が第二回以後の保険料の払込としてなされたものとしても、右保険契約成立の昭和二六年七月五日より前になされたものであるから、募集につきなした行為というべきものかどうかを考えなければならない。わが国の生命保険業界の実際においては、無診査保険にあつては契約申込の時に、有診査保険にあつては診査が終つた時に、第一回保険料相当額を、後日保険会社の承諾により契約が成立すれば第一保険料に充当する約束の下に仮に受け取るのを通例としており、控訴人も普通保険約款や第一回保険料仮領収証から推認されるように同様に扱つておる。右保険契約は同年六月五日申込がなされ、同月一三日被保険者宗次郎の身体診査がなされたが、調査を要する点があつて、同年七月五日まで契約成立が延引していたのである。生命保険においては、身体診査を必要とするのを常とする関係上、保険募集人は契約締結権なく、保険募集の取締に関する法律一一条に定める募集とは申込の誘引であつて、右保険契約において募集は申込のなされた右六月五日に完了している。従つてその後に重富のした行為は、募集につきなしたものではないのである。右保険契約の第一回保険料払込にあてるため重富に帝国精機株二、八〇〇株が交付されたのは、診査の直後の六月一五日頃であつて、甲第九号証の仮領収証の日付の同月三〇日ではない。被控訴人は右甲第九号証を引用して、同年六月二八日交付の日紡株三、七〇〇株では不充分なので、同月三〇日交付した帝国精機株二、八〇〇株と合して初めて右保険契約の第一回保険料五年分の払込にあてたものであると主張するけれども、甲第九号証の仮領収証によつて、既に同年六月一五日頃有効になされた第一回保険料支払の性質やその受領の時期を変更することができないものであることは前同様である。

(2)そもそも第一回保険料というのは、毎年払の契約にあつては最初の一年分、半年払の契約にあつては最初の半年分のみを指称するのであつて、その受領は募集と密接な関係があるから、保険募集人に受領権を与えているが、第二回以後の保険料の受領は、募集とは何の関係もないから、外務職員にその受領権を与えていない。将来の若干年分の保険料を予め払い込む場合の保険料を前納保険料と呼び、その性質は次回後の保険料に属し外務職員に受領権限はない。第一回目に前納分を含めて受領する保険料は第一回同時前納保険料といわれているが、控訴人はこの制度を採用せず、控訴人は一般前納保険料も第一回同時前納保険料も外務職員が受領することを厳禁している。このようなことは一般人が知らないところであつても、宗次郎は第一保険契約の締結と前後して謙次郎名義で控訴人の特約店を引き受け、右日紡株三、七〇〇株授受の際は既に相当の専門的知識を有し、殊に第一回保険料と第二回以後の保険料との区別について充分知つていた。何故ならば特約店契約書において特約店も募集人と同じく第二回以後の保険料の収受が禁じられており、またその報酬は第一回保険料受領の場合と第二回以後の入金(別の機関による収金)の場合と異つた手数料の割合が定められているからである。従つて募集人の重富には第二回以後の保険料を受領する権限なく、重富が日紡株三、七〇〇株を第二回以後の保険料払込のため受領しても募集につきした行為でないということを、被控訴人に対し主張することができるものである。

(3)右日紡株三、七〇〇株の交付は、前示日紡株四、六〇〇株の交付と同様宗次郎が(イ)時価一株一三〇円のものを一五〇円に評価する。(ロ)六カ月後に一五〇円以上に値上りしておれば一五〇円で買い戻すことを認める。(ハ)従つて六カ月間は名義書換をしないで保管する。(ニ)その間の配当金は宗次郎が取得する。(ホ)三カ月毎に評価額一五〇円に対し五分の運用利息を宗次郎が受け取る。というような殆ど信じることのできない好条件をならべた重富の甘言に乗ぜられて重富を信頼し、重富個人に交付したものである。このことは次の事実からみても明白である。<1>保険料前納による割引と日紡株を時価より一割五分から二割高く評価させることにより、実際支払額は正規保険料額の二割五分の減額となる。このような高額の割引では保険会社として採算の立つはずがなく、控訴人がこれを承諾するはずがない。<2>(ホ)の運用利息は一年一株三〇円で額面に対し年六割となり、当時の日紡株配当の約三倍にあたる。控訴人がこのような高利貸的投資をするはずのないことは宗次郎も知つていた。<3>(イ)から(ホ)までの約束に関して全然証書が作成されていない。<4>右三、七〇〇株は、甲第七号証の重富の名刺の裏面に記載された同人個人名義に同人個人の印の押してある預書によつて、簡単に重富に交付されており、他の正規の領収証と異り、控訴人の表示もなく、社印も社長印も押してない。従つて重富個人の預り証とみるべきものである。ましてこの当時において宗次郎は重富が控訴人会社社長直属の本店の社員ではなく、大阪支社所属の一外務職員に過ぎないことを既に充分知つていた。<5>宗次郎は同年九月中旬重富から約旨に従い右八、三〇〇株に対する第一回運用利息として五七、〇〇〇円を受け取つているが、控訴人発行の計算書付領収証用紙によつて金銭の授受がなされていない。

このように宗次郎が重富個人を異常に信頼した結果に基く損害であつて、たとえ重富個人に株式を交付したものでないとしても、保険料の払込というよりむしろ有利な投資、少くとも第二回以後の保険料は前納による有利を主な目的として日紡株を重富に交付したものであるから、保険の募集につき加えられた損害ということはできない。

(三)昭和二六年八月五日締結せられた保険金額四、〇〇〇、〇〇〇円の保険契約について、トヨタ自動車株九〇〇株、汽車製造株一、〇〇〇株、大津ゴム株一、〇〇〇株は毎年払の第一回保険料、日紡新株三、〇〇〇株は第二回以後四年分の前納保険料の払込として交付されたものであつて、このことは保険料の額と株式の時価とを対比すれば明らかである。従つて前同様の理由により募集につき加えた損害ではない。

二、仮に保険募集につき加えた損害であるとしても、本人又は被控訴人等の代理人としての宗次郎の重過失に基因するものであるから、被控訴人等自ら損害を負担すべきものである。宗次郎が重富に一(二)(3) 記載の特約をする権限があるものと信じていたものとすれば、宗次郎はこれを信ずるについて余りにも重大な過失があつたものといわなければならない。それはあたかも一流銀行の行員から年一〇割の利息をつけるから預金するようにすすめられ、銀行に預金するつもりで行員に金銭を交付して騙取されたというのと何等選ぶところがないからである。不法行為による損害賠償は、その損害が社会通念上容易に避けることができなかつた場合にのみ認められるのを原則とする。自ら求めた損害は自ら負担するのが当然であり、被害者の重過失による損害のように、極めて容易に避けることができた損害は、自ら求めた損害と大差なく、これを他人に帰せしめようとすることは、極めて特別の場合を除いて、公序良俗に反するからである。従つて宗次郎の重過失に基く本件損害は被控訴人自ら負担すべく、控訴人にその賠償を求めることは許されない。

三、仮に宗次郎の重過失ではないとしても少くともその軽過失は免れないから過失相殺せられるべきものである。保険募集の取締に関する法律は、旧保険募集取締規則が失効するため、急いで制定されたものである。旧規則においては右法律一一条のような使用者責任についての特別規定はなく、民法七一五条に依存していた。ところが戦後雇傭関係なく嘱託の関係にある募集人が増加して来て、民法七一五条の適用に疑義のあるものが生じたので、右法律においてはこれを包含させるため一一条を設けたものである。右法律の制定が急がれたため、民法の過失相殺の規定の準用を落したものであるが、このような原則の適用を除外することは、明文をもつてしても許されない。ましてその適用を排除する明文の存しない以上、右法律にも過失相殺を適用するのは当然である。

と述べた外、いずれも原判決事実記載(但し原判決四枚目裏一三行目に「重徳」とあるのを「重富」と訂正する。)のとおりであるから、これを引用する。

当事者双方の証拠の提出援用認否は、

被控訴人の方で、原審(第一、二回)及び当審証人広瀬勇の証言を援用する。乙第九号証の一、二、第一〇、第一一号証の成立を認める。乙第一二号証の成立は不知。と述べ、

控訴人の方で、乙第九号証の一、二、第一〇号証から第一二号証までを提出し、当審証人田辺英三、岡本政治、神部健の証言を援用する。甲第八号証から第一〇号証までの認否を改め、その用紙と印とが控訴人のものであることを認めるがその他の部分の成立を否認する。と述べた外、

いずれも原判決事実記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一、控訴人が生命保険業務を営む相互会社であつて、その大阪支社に昭和二六年三月頃から同年九月二六日まで康徳こと重富団四郎が外務職員の地位にあつて控訴人の生命保険募集人として募集に従事していたこと、亡宗次郎が本人又は被控訴人宗次郎(旧名謙次郎)、被控訴人多可の代理人として控訴人との間に、被控訴人主張の日にその主張のような第一保険契約(保険金額二、五〇〇、〇〇〇円二口)、第二保険契約(保険金額一、二五〇、〇〇〇円)、第三保険契約(保険金額四、〇〇〇、〇〇〇円)を締結したこと、第二保険契約について一年分の保険料一七三、八七五円、第三保険契約について一年分の保険料一四六、〇〇〇円の払込が控訴人になされたこと、重富が宗次郎から被控訴人主張の株式をその主張の日(但し、帝国精機株交付の日を除く。)に交付を受けたこと、その当時の右株式の価格と六月三〇日当時の帝国精機株の価格が被控訴人主張のとおりであつたことは当事者間に争がない。

二、被控訴人は、被控訴人主張の株式はいずれも第一から第三までの保険契約の第一回保険料五年分の払込にあてるため宗次郎が重富に交付したものであると主張し、控訴人は、日紡株四、六〇〇株は第一保険契約の、日紡株三、七〇〇株は第二保険契約の、日紡新株三、〇〇〇株は第三保険契約の第二回以後の保険料の払込にあてるため交付されたものであると主張するから、この点について判断する。

原審証人岡本政治の証言(第二回)によりその成立の認められる甲第一号証、乙第七号証、当審証人広瀬勇証言によりその成立の認められる甲第二号証、第三号証の一、二、第四号証から第一〇号証まで(第八号証から第一〇号証までの用紙と印とが控訴人のものであることは当事者間に争がない。)、原審証人田口健市の証言によりその成立の認められる甲第一三、第一四号証、成立に争のない甲第一一、第一二号証、第一五号証から第二九号証まで、乙第二号証第一、二、第五、第六号証、第八号証、第九号証の一、二、原審証人田口健市、原審(第一、二回)及び当審証人広瀬勇、岡本政治の証言を総合すると、次の事実を認定することができる。

重富は昭和二六年三月中頃大日本紡績株式会社大阪営業所に同会社取締役会長の宗次郎を訪れ、「日本生命保険相互会社直轄部長重富康徳」の名刺をさし出し、真実は控訴人の大阪支社の一外務職員であるのに、あたかも控訴人本社の直轄部長であるようにみせかけて宗次郎を信用させ、控訴人が日紡に多額の投資をしているのに日紡の幹部がまだ控訴人の生命保険に加入していないのはふさわしくないように申し、控訴人社長の直接の命令で加入を勧誘するようにみせかけたので宗次郎はこれを信用し、前示第一保険契約二口に加入することを承諾し同月三一日右契約は成立し(この日に契約が成立したことは前示のとおり当事者間に争がない。)、宗次郎はその頃半年払の第一回保険料二口分一〇三、〇〇〇円から重富の勧誘手数料を差引した九六、七五〇円を現金で重富に支払い、その場で同人から第一回保険料仮領収証を受け取り、その後控訴人から保険証券の送付を受けた。同年五月頃重富が宗次郎を前同場所に訪れさらに別口の保険加入を勧誘したので、宗次郎は、「株券ならば相当持つているが、現金がないから、これ以上保険に加入することはできない。」旨を答えたところ、重富は、「あなたのような特別の人に限つて株券で保険料の払込をすることができる。その株券は時価より一割から一割五分高く見積る。控訴人の本店には融資部があつてこの株券により融資し、これに対する利潤をあなたに分配する。五年分の払込をすればその後解約すると継続するとは自由であつて決して損にはならない。」旨申したので、宗次郎はこれを信じ前示第二保険契約に加入することを承諾し、同年六月五日その申込の手続がなされ(乙第八号証)、その後間もなくして身体診査がなされた。宗次郎はその一年払の第一回保険料の払込にあてるため同月一五日頃重富に帝国精機株二、八〇〇株を一応預けたが、まだ第一回保険料の払込に充当されることなく、従て第一回保険料仮領収証は作成されなかつた。宗次郎は同月二八日重富に日紡株三、七〇〇株を交付し、重富は帝国精機株を一株六〇円、日紡株を一株一五〇円といずれも時価より高く評価した上、これを一括して第二保険契約の五年分の保険料の払込にあてることとし(甲第三号証の一、二)、同月三〇日七三〇、二七五円について第一回保険料仮領仮証(甲第九号証)を作成して宗次郎に渡した。

同年七月二日に至り宗次郎は重富に日紡株四、六〇〇株を交付し、第一保険契約については前示のとおり既に同年三月三一日半年払の第一回保険料を現金で支払つてあるので、一株につき一五〇円と時価より高く評価した上、四年半分の保険料の払込にあてることとし(甲第二号証)、重富はさきに支払すみの第一回保険料とあわせて七八七、〇〇〇円について日付をさかのぼらせて同年六月三〇日付とした第一回保険料仮領収証(甲第八号証)を作成して宗次郎に渡した。そして重富は宗次郎に第二保険契約の五年分の保険料と右評価額との差額二、九二五円、第一保険契約の五年分の保険料と右評価額との差額六、〇〇〇円を現金で払い戻した。

同年八月五日宗次郎は重富に日紡新株三、〇〇〇株、トヨタ自動車株九〇〇株、汽車製造株一、〇〇〇株、大津ゴム株一、〇〇〇株を交付し、重富は一株につき日紡新株を一四五円、トヨタ自動車株を六〇円、汽車製造株を四二円、大津ゴム株を六〇円と、いずれも時価より高く評価した上、一括して第三保険契約の五年分の保険料の払込にあてることとし(甲第四号証)、五八四、〇〇〇円について第一回保険料仮領収証(甲第一〇号証)を作成して宗次郎に渡すとともに、右評価額との差額七、〇〇〇円を現金で払い戻した。さらに同日重富は宗次郎に対し前示日紡株三、七〇〇株、同四、六〇〇株について六ケ月後に一五〇円以上に値上りすればその額で前納保険料を清算する旨申し出た。重富は同年九月頃宗次郎に前示日紡株計八、三〇〇株に対する第一回運用利息として、一株一五〇円に対する、三ケ月間五分の割合による六二、二五〇円のうち六二、〇〇〇円から重富の手数料五、〇〇〇円を差引した五七、〇〇〇円を支払つた。このように認定することができるのである。

前に掲げた各証拠中右認定にそわない部分は採用しない。他に右認定をくつがえすに足りる証拠はない。

そこで右認定に従つて考えるに、第一保険契約については昭和二六年三月三一日頃現金で半年払の第一回保険料の支払があり、その契約が成立しているものであるから、同年七月二日に至り募集人の重富が宗次郎に対し日紡株四、六〇〇株を第一保険契約の四年半分の保険料の払込にあてることとし、支払すみの第一回保険料領収証を作成したとしても、重富は既に有効に支払のなされた第一回保険料の性質を変更する権限を有するものでなく、日紡株四、六〇〇株が第一回保険料の払込にあてるために受領されたものということはできない。

第二保険契約については同年六月一五日頃重富に帝国精機株二、八〇〇株を預けたがまだ第一回保険料の払込に充当されることなく、同月三〇日に至り同月二八日重富に交付された日紡株三、七〇〇株と一括して五年分の保険料の払込に充当することとし第一回保険料仮領収証が作成されたものである。

第三保険契約については同年八月五日日紡新株その他三種類の株式が一括して五年分の保険料の払込にあてられ、第一回保険料仮領収証が作成されたものである。

しかしながら、第一回保険料というのは、一年払の契約にあつては最初の一年分、半年払の契約にあつては最初の半年分のみを指し、将来の若干年分の保険料を予め払い込む場合の保険料を前納保険料というが、これも第二回以後の保険料に属する。第一回保険料と同時に第二回以後の保険料の払込をする場合があつても、これを一括して第一回保険料ということのできないことは、当審証人田辺英三の証言により明らかであるから、このような意味における第一回保険料の性質を有しないものについて、第一回保険料仮領収証が作成されたとしても、その性質を変更するような効力を与えるものということはできない。従つて前示株式はいずれも右の意味における第一回保険料の払込にあてるために交付されたものということはできない。

三、重富の前示株式受領は保険募集につきした行為かどうかを判断しよう。

控訴人は、宗次郎が日紡株八、三〇〇株を重富に交付したのは同人を信頼したためであつて、重富個人に交付したものであると主張するけれども、宗次郎は控訴人に融資部があるなどの重富の言を信じ控訴人に対する保険料の払込にあてるため重富に株式を交付したものであることは前に認定したとおりであるから、宗次郎は重富個人に交付する趣旨でなかつたものというべく、その評価、値上りした場合の清算、運用利息の支払などについて、宗次郎に有利な条件が付せられていたことも前に認定したとおりであるけれども、これは後に説明するように宗次郎の過失を判断する資料となるとしても、重富個人に交付せられたものでないとの事実認定を妨げるものでなく、また控訴人主張のように保険料の払込よりも保険料の前納による有利な投資を目的としたものであると認定すべきものでもない。

成立に争のない乙第一一号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる乙第一二号証、原審証人別院実、当審証人田辺英三、神部健の証言によると、控訴人その他の生命保険会社においては第一回保険料の受領は募集と密接な関係があるから、保険募集人に受領権を与えているが、第二回以後の保険料の受領は募集と関係がないから募集人にその受領権を与えていない。控訴人は募集人が第一回保険料と同時に第二回以後の保険料を受領することを禁止している事実を認めることができる。

しかしながら、保険事業の運営についてはその性質上広く一般に多数の加入者を募集しなければならないから、その募集に従事する者の行為が加入者の利害に影響するところが少くない。保険募集の取締に関する法律は、保険契約者の利益を保護しあわせて保険事業の健全な発達に資する目的をもつて制定されたものであつて、募集に従事する者を登録させ、募集に際し行われ易い一定の行為を禁止し、募集に従事する者が募集につき保険契約者に加えた損害に対してはその保険会社に特別の賠償責任を認め、各種の取締措置を定めているのである。右法律一一条は生命保険募集人が募集につき保険契約者に加えた損害については、所属保険会社がこれを賠償する責に任ずることを規定している。右の規定は、民法七一五条によつては、保険会社と募集に従事する者との間における使用関係の有無について明確でない場合があつて、保険契約者の保護に充分でないところから、設けられたものであつて、本来不法行為に基く賠償責任であり、募集人が保険会社からある行為をする権限を与えられておらず、むしろこれを禁止されているからといつて、それだけで右の規定の適用を免れるものということはできない。右の規定において「募集につき」というのは募集自体に限定されることなく募集と密接な関連関係のある行為をも含むものと解しなければならない。ところが前に認定するとおり、重富は宗次郎に対し、日紡株四、六〇〇株を支払ずみの第一回半年分保険料とあわせて第一保険契約の第一回五年分保険料の払込にあてる。第二保険契約について日紡株三、七〇〇株、帝国精機株二、八〇〇株、第三保険契約について日紡新株その他三種類の株式をそれぞれ一括して第一回五年分保険料の払込にあたる旨申したところ、宗次郎はそれが保険会社のいう第一回保険料でないことを知らず重富がこれを受領する権限を有するものと信じ、第一回保険料にあてるつもりで株式を重富に交付し、重富から第一回保険料仮領収証を受け取つたものである。もつとも前示乙第五号証、当審証人岡本政治の証言によると、宗次郎は昭和二六年四月頃謙次郎名義で控訴人と特約店契約を締結した事実を認めることができるが、右乙第五号証、当審証人広瀬勇の証言によると、これは特約店手数料により支払うべき保険料を軽減することを目的としたものであることが認められ、宗次郎が重富に保険会社のいう第二回以後の保険料受領権限のないことを知らなかつたとの前認定をくつがえすに足りない。また第一保険契約の成立したのは昭和二六年三月三一日であるのに、日紡株四、六〇〇株の交付せられたのは同年七月二日であるけれども、重富は第一回保険料の払込にあてると言い、宗次郎はこれを信じたものであるから、募集と同時になされる保険会社のいう第一回保険料の受領と同様、募集についてなされた行為というのを妨げず、第二、第三保険契約については、株式の交付は、保険会社のいう第一回保険料と一括して五年分の保険料の払込にあてるためなされたものであるから、募集についてなされた行為といわなければならない。

重富は当初から保険料の払込にあてる意思がないのに保険料の払込にあてるようにみせかけて宗次郎から前示株式をだまし取つたものであり、前示甲第一六、第一七号証、乙第五号証によると、重富は右株式を売却処分したことが認められるから、右株式の喪失は重富の故意による不法行為に基くものであつて、控訴人は重富が募集につき保険契約者に加えた損害としてこれを賠償する義務があるものである。

宗次郎が自己の契約については直接、被控訴人宗次郎(旧名謙次郎)、被控訴人多可の契約については同人等に代り重富に株式を交付したことは前示のとおりであり、株式交付当時の時価が被控訴人主張のとおりであることは前示のとおり当事者間に争がないから、宗次郎及び多可はそれぞれ(一)日紡株二、三〇〇株の評価額二九六、七〇〇円から前に認定した返還六、〇〇〇円の半額三、〇〇〇円を控除した二九三、七〇〇円、謙次郎は(二)日紡株三、七〇〇株、帝国精機株二、八〇〇株の評価額六六二、八〇〇円から被控訴人の自認する第二保険契約の保険料として控訴人に交付された一七三、八七五円と前に認定した返還金二、九二五円とを控除した四八六、〇〇〇円、(三)日紡新株三、〇〇〇株、トヨタ自動車株九〇〇株、汽車製造株一、〇〇〇株、大津ゴム株一、〇〇〇株の評価額五二六、六〇〇円から被控訴人の自認する第三保険契約の保険料として控訴人に交付された一四六、〇〇〇円と前に認定した返還金七、〇〇〇円とを控除した三七三、六〇〇円、(二)(三)合計八五九、六〇〇円の損害を受けたこととなる。宗次郎が昭和二八年九月一三日死亡し、被控訴人等がその主張のような割合で相続したことは当事者間に争がないから、宗次郎の(一)の損害賠償債権は被控訴人多可が九七、九〇〇円、その他の被控訴人四名が四八、九五〇円ずつ相続したこととなる。従つて控訴人に対し被控訴人多可はこれと同人の(一)の分とを合算した三九一、六〇〇円、被控訴人宗次郎(旧名謙次郎)は右四八、九五〇円と(二)(三)の合計金を合算した九〇八、五五〇円、被控訴人淳三郎、同多恵、同登貴はそれぞれ四八、九五〇円の損害賠償債権を有するものといわなければならない。

四、控訴人は本件損害は宗次郎の重大な過失に基くものであつて、被控訴人自ら損害を負担すべきものであり、仮にそうでなくても宗次郎の軽過失に基くものであるから過失相殺せられるべきものであると主張するから考えよう。

前示乙第二号証の一、二、原審証人別院実の証言によりその成立の認められる乙第三、第四号証、同証言、原審(第一回)証人広瀬勇の証言の一部によると、宗次郎が重富に前示株式を交付する以前に、第一保険契約の保険証券とともに自由保険普通保険約款、「第二回目以後の保険料お払込について」と題する書面を控訴人から送付されていたものであり、右書面によれば、第二回以後の保険料は控訴人の本店又は控訴人の指定した場所に払い込むべく、外務員は第二回以後の保険料を取り扱わないことになつており、保険契約者が将来の若干年分の保険料を一時に前納する場合は控訴人の本店又は控訴人の指定した場所に申し出ることが記載されていて、宗次郎は当然右事実を知ることができる状況にあつた事実を認めることができる。原審(第一回)証人広瀬勇の証言中「甲第八号証を受け取つた後に保険証券をさらに遅れて乙第三、第四号証を受け取つた旨の証言は信用しない。また前示甲第八号証から第一〇号証までの第一回保険料仮領収証によると、欄外に赤字で「この領収証は第二回目以後の保険料領収には使用いたしません。」と明記してあり、裏面には「御注意」と題して「(3) 次に該当する仮領収書は無効であります。第二回目以後の保険料領収に使用したもの」と明記してあるから、この点からも宗次郎は募集人に第二回目以後の保険料領収の権限のないことを知ることができたものといわなければならない。さらに前に認定したように、「宗次郎のような特別の人に限つて株式で保険料の払込をすることができる。その株式は時価より一割から一割五分高く評価する。控訴人の本店には融資部があつてこの株式により融資しこれに対する利潤を宗次郎に分配する、日紡株八、三〇〇株について六カ月後に評価額の一五〇円以上に値上りすればその額で前納保険料を清算する。同株式について一株一五〇円に対する三カ月五分の割合の運用利息を支払う。」という宗次郎に対し甚しく有利な条件であつて、反面通常の社会人の常識をもつてすれば、保険会社の正常な事業運営によつてはとうてい実現することのできない条件であることは明白であるにもかかわらず、宗次郎は、どれほど重富のたくみな言辞に誘われたとはいつても、目前の有利にひかれ正常な判断力を失い全面的に重富の言を信用するに至つたものである。

以上説明したところによると、本件損害の発生については宗次郎にも相当過失があつたものといわなければならない。

それだからといつて控訴人の主張するように被控訴人自ら全損害を負担すべきものということはできない。

しかしながら、保険募集の取締に関する法律一一条の所属保険会社の賠償責任についても民法七二二条二項の過失相殺の規定を適用すべきものである。なるほど右法律一一条四項は、民法七二四条の規定は一項の請求権についてこれを準用する旨規定しているにかかわらず、民法七二二条二項の規定を適用又は準用する旨の規定は存しない。しかし右法律一一条は民法七一五条と同様特殊の不法行為についての規定であつて、募集人について民法七〇九条の要件を備える必要のあることは民法七一五条の場合と同様特に規定がなくても当然のことであり、右法律一一条三項が会社から募集人等に対する求償権を定めていることからみても明らかである。従つて不法行為の原則を定めた民法七二二条二項の過失相殺の規定は、右法律一一条の損害賠償責任にこれを適用すべきものと解しなければならない。

そして前段認定のような宗次郎の過失の程度を考えると、控訴人の負担すべき損害賠償の額は二分の一に軽減するのを相当とするから、控訴人は被控訴人多可に対し一九五、八〇〇円、被控訴人宗次郎に対し四五四、二七五円、被控訴人淳三郎、同多恵、同登貴に対しそれぞれ二四、四七五円と、それぞれ右金額に対する本件訴状送達の翌日であることが記録上明らかな昭和二七年七月一〇日から支払ずみまで年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務があるものというべく、被控訴人の本訴請求は右限度で正当として認容すべきであるが、その他の部分は失当としてこれを棄却しなければならない。そうすると、これと同旨でない原判決は右限度でこれを変更すべきものであつて、訴訟費用の負担について民訴法九六条八九条九二条九三条一項但書、仮執行の宣言について同法一九六条を適用し主文のとおり判決する。

(裁判長判事 熊野啓五郎 判事 坂速雄 判事 岡野幸之助)

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